_ 書店にてアンチ巨人のバイブル(と思われる)「悪魔の野球」をちょっと立ち読み。
書店が入っているのは巨人マンセー系デパートだったため、
本を読み出すとまもなく、店内に「闘魂こめて」が流れ出す始末。
そこで買おうと思っていた本があったものの、この状況が耐えられなくなり他の店で購入(笑)。
_ 昔の推理小説を読むと、「カツラや付けヒゲで変装して別人になる」という描写がよく出てくる。
文字で表現されているうちは通用するが、映像化されるとごまかすのが大変だ。
現在の技術を使ったものであればまだしも、こういったものがよく出るのは主に戦後少しくらいまでの作品。
その当時のカツラ製作技術は今より稚拙だっただろうし、ゼロの段階から架空の人格を作るのであればまだしも、
「今まで親しい間柄だった人間が、変装した状態で現れ」たら、「おいおい、何してんの」という感じになるのが普通だろう。
かえってカツラやヒゲに頼らないイメチェンのほうがバレづらいとも思う。
人間の印象というのは外見を変えればどうにかなるわけではなく、
内面やら何やらが複合してかもし出す「雰囲気」によるところが大きいからだ。
概してカツラは「きっちりしすぎ」の髪型=違和感が周囲に漂うものである。
推理小説では、「元・夫」だったり「昔の恋人」だったりする相手が変装したくらいで「別人」ということになり、
ふとした過ちで殺してしまった後に「アレはあの人だったのか」と大パニックになったりするのだが、
こういうトリックが上っ面のものに過ぎない(推理小説のファクターとしてはいいが、読んでいてどうにも違和感がある)のは、
「顔をすっかり覆ったマスクマンが、体つきや動きですぐ正体がバレる」といったあたりからもわかるだろう。
テレビを通してしか知らないレスラーがマスクをかぶっただけでもバレるんだから、近しく接している人間が気づかないわけはないのだ。
まあ、トリックというのは推理小説における記号なわけだから、こういうこだわりを持つほうがおかしいのかも知れないが、
ウソはウソとしての説得力を持たせてほしいわけだ。
_ 浪花本町糸屋の娘 姉は十八妹は十五 諸国大名は弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す
昔のこういうのは語感がいいっすね。これしか知らないんですが(笑)。
「浪花本町」の部分だけどうしても思い出せなかったのですが
お蔭ですっきりしました(笑)。「糸屋→紅屋」だったり「姉は二十歳で妹(いもと)は十九」とかいろいろ変形が有るようです。
確か「伊勢は津でもつ〜」と並んで頼山陽が押韻を教えるのに使ったとかなんとかそう言う逸話が有ったように記憶しています。
説得力が無いといえば、写真週刊誌でよくある
「あの番組で人気の●●クンが決意のヤラセ告発ヌード!」。
義憤にかられて「告発」という行為と、「ヌード」はどうリンクするのか
全くわかりません(笑)。これで30万位貰ってるのかなと思うと、
いろんな意味で哀しいと思う。